Sunday, July 05, 2020

碧空1790 nautilus133(覆面のモーゼ)

1790 nautilus133(覆面のモーゼ)  覆面のモーゼ、この魅惑は何だろう。  モーゼが覆面をしたのは、ヤーウェと物言いするとモーゼの顔が光り出してしまい、この発光を隠すためとされるが、覆面に覆われない露出した目は光らないのだろうか。それは月光のような反射ではなく、忍び込むように内奥から迫るヤーウェが減速して光るのである。というのも、ヤーウェが不可視なのは絶対速度だからである。  この、本当の持ち主の異常接近を解読するために、ヤーウェは後れて来る。目に見える異象になるのである。それが、モーゼの顔の発光、発光を増幅することになる覆面のモーゼなのである。  ヤーウェを感じ、見えるようにする装置が、群の生命が雲の柱となって降りることになる幕屋であるが、その聖別は、偶然の様式やら規定やら光り物やら工芸やら総掛かりの世俗化である。これは、修道院的、「薔薇の奇蹟」的な聖別が、世俗の生活様式を脱け出して浮世離れするかに見えて浮世に見守られて増幅する世俗化の如くである。  運命の異常接近を解読するために後れて来るOedipus の罪滅ぼしが盲いることであるのは、目隠しをすることの変形なのだろうか。発光する顔に覆面をする異象は、究極の世俗化を以て聖別することである。とすれば、覆面のVenus や目隠しをした黒いマリアが、防毒覆面を装着した「モナリザ」のように存在しているはずだ。

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