碧空1792 nautilus135(秘密は偽りの如く、しかし、オドラデクは迫る)
1792 nautilus135(秘密は偽りの如く、しかし、オドラデクは迫る)
物語は霊的でなくなる亡命、世俗化であるが、世俗化の究極は、善悪や真偽といった偶然の症状が長目の効果に包まれる聖別である。
亡命はいつの間にか過ぎてしまう。それは平凡過ぎて誰も怪しまないが、異象である。亡命は、過冷却状態の現在であるが、枯葉が一枚水面に落ちるような衝撃で過冷却の池が一気に凍結し渡るように、何とはない現象がmatter(何か)となって迫る気配で一気に物語は過ぎてしまう。
そもそも、その何とはない現象が過冷却状態の現在を代表していて、例えば、何か階段を降りて来るような気配とか、ドアが意図があるかのように閉まる、水が漠然と滴る、ボールが跳ねて転がって静止する三段階といった、しかしそのように分節されているのではない意味未明の、しかし何処か片隅で感知できないスロー・モーションの決壊が始まっているような流体の気配であるが、それこそはホラーやスリラーの、その異常接近を宙吊りにする提喩の装置を作動させるのである。
この、提喩の効果は、ついさっきのことのような、というよりいつとはなく何ともない薄明の(偽りのような)極端に私的な細部が、百年も前の眺めであるかのように一気に遠ざかると同時に膨れ上がって異常接近する長目の効果であるが、遠近も大小も解離しない遠近法の恐慌の内奥に、matterが迫るのである。
matterが迫るや、しかし物語は、何事もなかったかのように一気に過ぎてしまう。すなわち、聖別である。弁護士の息子のハンスが百年もの瓦落多の堆積した屋根裏部屋でもう一人のハンスを発見する話(F.Kafka )は、遠近法の恐慌の内奥の、matterに迫るのである。
つまりそれは、物語のスリップに迫る物語である。「家長の懸念」(F.Kafka )とは、何かを物語ったことになるのだろうかという心配である。オドラデクはmatterが迫る聖別であるがエラーじみていて、どんなに慎重に観察して怺えても今にも崩壊しそうで、家長よりずっと齢をとっていそうなのに極端に寿命の短かい異象なのである。秘密は偽りの如く、しかし、オドラデクは迫る。


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