Sunday, July 12, 2020

碧空1797 nautilus140(目暗ましの贖罪)

1797 nautilus140(目暗ましの贖罪)  世界の広がりは、とっくにどこまでも過ぎ去っていることである。こうして雌雄異体の物語は掘り出される、twice-toldの光景なのである。雌雄同体の光景であるマリアは、世界の終わりに出てまるで発光するかのように隠れなく、隠れなさに狼狽して隠れなさを躱そうとするかのように目隠しをしてしまう。  この、目隠しのマリアは、ヤーウェと物言いすると顔が発光してしまうモーゼが覆面をするようなものである。モーゼの覆面は、発光を覆うというより発光を際立てる。しかし、打チ消サレルヨウニ呼ビ出サレル隠れなさは、打チ消サレルヨウニ呼ビ出サレル取り返しのつかなさとなって転写されている。「目には目を」式の埋め合わせの試みが却って際立ててしまうのは、もう一つのものに過ぎないのにしかもたった一つのものである葛藤であるが、その取り返しのつかなさを躱そうとするかのように目を家畜や貨幣(媒体)に置き換える目暗ましの贖罪は、群の生命「の」伝達である発光が贖罪であることの秘密(媒体性)を度忘れ状態にする。  祈りというものがどんなに静かに立ち昇っても届かなさを模写する発作である如く、群の生命「の」伝達の、その贖罪が果たして埋め合わせたことになるのか疑わしい懸念が、燔祭や罪祭や酬恩祭やその類の贖罪の作法に発作的に転写される。それは、イサクの身体に生贄であること(取り返しのつかなさ)が顕れたので、アブラハムが生贄であること(隠れなさ)を度忘れする如くである。

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