Friday, August 14, 2020

碧空1830 nautilus173(「新しい天体」の演奏)

1830 nautilus173(「新しい天体」の演奏)  世俗の媒体を通して姿を現わすと同時に姿を晦ます意味や価値や権力は、とっくに潰されているのに、潰されないように幻肢の如く起き上がって来る。媒体としての身体を通して出現すると同時に潜伏する「私」も幻肢の如く起き上がって来る。  目を瞑ってヘリコプターが水面に激突した瞬間に、タイム・スリップしたのか、記憶喪失なのか、どうも「私」は他の誰かと間違えられて、その誰かで通るらしい。それが何か居心地いいし、変に懐かしい。逃亡するHannibalのように整形して別人を名乗るのではない。後にした世で「私」の失踪が起こっているはずだが、追跡の気配は迫らない。  しかし姿を晦ますのは巧みであっても群衆に溶け込むのではないHannibalには、いつの間にか、ひたひたと寄せて来る、というより、Hannibalが(蘭の花に擬態して捕食する蟷螂のように)おびき寄せる。  1478年リナルド・パッツィの先祖フランチェスコ・デ・パッツィはドゥオーモでジュリアーノ・デ・メディチを殺害しようとしたが、どうしたことか、自身の太腿も一緒に刺し貫いてしまったのだから致命傷を負わせられるはずもなく、ヴェッキオ宮殿の窓から腸を出した姿で首を吊られて辱められたのだった。後世、このパッツィ家の霊的記憶の演奏が、ゴルトベルク変奏曲の霊的抽象をHannibalがハプシコードで演奏するように、リナルド・パッツィの身に起こる。  このパッツィが、Hannibalを狩り立てようとしたのは俗世の正義や名誉といった蜃気楼からではなく、「新しい天体」をフィレンツェのざわめきの中に発見した美食の蜃気楼からである。しかし、このもう一人のパッツィこそは、どうしたことか、ずっとのぞかれていたHannibalが一瞬のぞき返した一撃で「新しい天体」に姿を変えられ、しかも何度ものぞきに戻らないではいない霊的拷問の演奏なのである。(nautilus172)

0 Comments:

Post a Comment

<< Home