碧空1833 nautilus176(何も打ち消せない)
1833 nautilus176(何も打ち消せない)
一体ヤーウェはヤーウェということになるのだろうか、という問こそは、そのお忍び、三重の仮面性である。
それは、一体「私」というものが媒体であるなどということがあるものだろうか、という問となって転生する。後れて来る「私」と呼ばれる「自由、孤独、思考」が輪郭を(従ってのぞき穴を)喪失して何でもなくなる、従って何も打ち消せない、あの「誰かがいる」というような薄気味悪く迫る気配、「私」となって姿を現わすと同時に姿を晦ます気配、真に迫ろうとして偽に出てしまい、場所に迫ろうとして宙に出てしまうのである。
泡沫の名が呼びかけられるためにはヤーウェは打ち消されなければならないが、掌握、支配の俗世の様式、すなわち遠近法と嚥下は、熱平衡にならないように打ち消したはずのヤーウェを奇妙にも目指してしまう。


0 Comments:
Post a Comment
<< Home