碧空1837 nautilus180(世界をあざむく)
1837 nautilus180(世界をあざむく)
Clarice の美味な胸腺が、豚も同然に食われるなどということがあってはならない、といった増上慢を物語は回避しなければならない。光源氏は、豚も同然にあっさり、あるいは精々言って酷薄に新陳代謝するので、とっくに始まっていたのに今漸く始まるというように次の世代にズーム・インする源氏物語はこの増上慢を驚かせるのである。
HannibalとClarice の、沈黙と区別のつかない二つの自慰発作の悲鳴は、Clarice となって収斂して世界をあざむくだろうか。しかし、「Hannibal」(Thomas Harris )は、増上慢を回避しない。HannibalがClarice となって収斂しようかというような絶対速度の間際で、手錠で繋がれたHannibalとClarice の融合ではなくcannibalism と正義の分岐の夢想があらわれ、Clarice の手ではなくHannibalの手を斫り落としてHannibalは姿を晦ますからである。
この増上慢は、Clarice が記憶喪失に罹ってHannibalを見失うというようにも、死亡したのと何も変わらないWakefield(N.Hawthorne)の長い失踪(実は窃視)のように、偽りの死後に遺されたClarice の日々を秘して見守るというようにも展開するだろうが、増上慢を回避するのならば、例えばメイスン・ヴァージャーの倒錯的嗜好の素材でしかない妹マーゴ、その、筋肉を鍛え、筋肉を鎧わないではいられない自慰発作の悲鳴が、HannibalやClarice の自慰発作(cannibalism や正義)の悲鳴に取って代わるともなく、何事もなかったかのように地続きになって世界をあざむかなければならない。


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