碧空1848 nautilus191(それは、みにくい!)
1848 nautilus191(それは、みにくい!)
見られたくない極端に私的な細部を見られたくて他の誰かの目を鏡の破片で潰す症状は、秘密を分け合おうとして毒を盛るのである。
それはもう半世紀も前に、他の誰かの頭にではなくこの私の頭にしずいた記憶、さざ波に反射した光が橋脚や舷側や飛ぶカモメにさえちらちら揺れる、あの、路傍の草の影のような細部は、ああ、ボヤといわなかったか、と突然思い出されたことがまたいくつも角を曲ってからその記憶の影のように思い出される。小火をボヤと読むではないか、こうして角をいくつも曲っても月のようについて来る片隅の影のような小火がちらちら揺れる。
見られたくない極端に私的な細部は、SphinxがOedipus に投げ掛けた運命の影のように神託となって暴かれたがっていて、しかも、回避しようとして次の角をいくつか曲っても、月の如くついて来る。角をいくつ曲っても私的でなくならないのである。しかも、運命は極端に(偽りも同然に)私的なようでいて、運命の媒体であることは「私」というものを疑わしくし、脅かす。それは、みにくい!
それは見られたくて疫病となって観衆の目の全滅を図ったはずなのに、頓馬にも「私」の目を刃で潰す擬似贖罪に訴えるのは、見られたくなくて見ない自家中毒のようなものである。


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