碧空1851 nautilus194(世界が一回限りでなくなる反乱)
1851 nautilus194(世界が一回限りでなくなる反乱)
「我思う、故に我あり」式の混乱は、問としての「私」と解としての「私」が区別されていないのである。問としての種と解としての個が区別されないようなもので、個となって姿を現わすと同時に姿を晦ます種と、個と個の間に出現しては逃れ去る種も区別されていない。
しかし、区別されていないが、解離しているのである。隠れていたものが顕れる効果に包まれて一回限り「私」は、移動する。それが流された太陽であれ、彷徨う太陰であれ、筋を通そうとするのであるが、どの隣人がそうなのか分からない復活のJesus Christや人狼は、隠れていたものが顕れる効果に包まれた世界が一回限りでなくなる反乱である。
Oedipus が一回限りでないという反直観性は、謎としての日月と、移動する日月が区別されるが解離しないのである。神秘的にそれは、蜘蛛の脚のような中指と人差し指が導き、手が導かれる図式となってMason Vergerの業病も同然の淋しい領土に入り込んで支配し、「Hannibal」(Thomas Harris )の流域につきまとって祟るのである。


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