Tuesday, November 10, 2020

碧空1918 nautilus261(落下のような地続き、地獄の主体)

1918 nautilus261(落下のような地続き、地獄の主体) 「大導寺信輔の半生」は本当に孤独を学んだのか。日の暮れの薄明の心細さは孤独なのか。  天竺の仏が無数の過去生を通り抜けて転身するように、その履歴は償うようにコピーして次々と閲するのであるから、百本杭の川波に坊主頭の死骸が浮かんでいた景色が本所を代表してしまうように、どのコピーも履歴を代表し、あるいはその、混沌に見える復讐的贖罪の運動の平均値である。  立ち寄った古本屋で手垢にまみれた「ツァラトストラ」を手にしたら、あの、やむなく七十銭で手放した「ツァラトストラ」で、俄然愛着が戻った信輔は一円四十銭で買い戻す。七十銭で質入れすれば済んだ話だと自嘲するというより、「或る阿呆の一生」が瓜二つのもう一人の「阿呆」にしか届かないように、本当の持ち主が接近して光り出したのであって、本当の持ち主であることを主張するのに七十銭余計にかかったのである。つまり、美の法則を、私有制度と民法を以て徒に置換してしまう中流下層階級の性が不覚にも出たのである。  しかし、哺乳の母性に包まれずに牛乳だけで育まれた信輔は、つけ狙う親和力で、過去生を通り抜ける誰かが転身しているとゾクッと分かるようなあの白い牛の目と地続きなのであって、「思いがけない景色を見て和蘭陀へ流される」この、落下のような地続きは地獄に属し、地獄の主体は「私」ではない。

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