Tuesday, December 15, 2020

碧空1852 nautilus294(俗説の形式)

1852 nautilus294(俗説の形式)  「私」の衰弱は星の最終支配の下の自食の減衰ではない。それは、和解も出来ないが逃げ出すことも出来ない焦燥である。  死は、不断に追跡して来る気配であるから、和解も出来ないが逃げ出すことも出来ない媒体性は死なのだろうか。  そもそも身体から魂が脱け出すというような俗説は、死が極端に私的なのに死体が極端に公的である、その乖離を模写しているに過ぎない。この、死と死体の乖離は、解としての「私」と問としての「私」の解離とは何かまるで違うが、解としての「私」の媒体性(「私」の衰弱)に狼狽して、すなわち「私」に面して「私」が疑わしい裂目に狼狽して単に発作的に模写して鸚鵡貝の目が驚くのではなく、狼狽から(発作的に)死と死体の矛盾に転移して、さらには、引き留めてもどうにもならない死を償うように模写して身体から脱け出す魂が覚醒するのである。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home