Friday, April 30, 2021

碧空1886 nautilus427(媒体性の転写)

1886 nautilus427(媒体性の転写)  一体、Jesus Christが「私」をコピーするのか、「私」がJesus Christをコピーするのか。(nautilus425、426)  Jesus Christの目撃は、「私」の発見とは何かまるで違うかに見える。どちらも鏡像の発見ではあるが、鏡像であると同時に鏡であって解離しないのがJesus Christの出現(異常接近)で、発見というより覚醒である。後れて来るはずの主体は途中までしかやって来ない。  一方、鏡と鏡像の解離である「私」の発見は、後れて来る主体の登場である。しかし、「私」の発見の、その対格は、後れて来る主体が既に登場していて「私」が「私」を過ぎ越しているのである。本当にあるかのようになる「私」の発見の、その対格はいつの間にか主格との区別がおかされていて、自分になるために半分になるのである。「私」の発見は「私」の発見に先立つ「私」を発見するのであって、後れて来るはずの主体は早く来過ぎてしまっている。  Jesus Christになるために隣人になる変装も、自分になるために半分になる分業も、一つになるために半分になる媒体性の転写である。

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