Tuesday, May 18, 2021

碧空1903 nautilus444(半鏡像)

1903 nautilus444(半鏡像)  「それはアンスル・ボルンという30歳の巡回牧師で、ある日(1887年1月17日)彼は銀行から551ドルの預金をおろし、突然グリーンから失踪、2ヶ月の間行方不明であった。この間彼はA.J.Brownと名乗ってペンシルベニアのノーリスタウンで小さな雑貨店を切りまわし、仕入れ万端を立派にやっていた。しかもこうした仕事はそれまでに一度もやったことがなかった。1887年3月14日、彼は突然覚醒して家に戻ったが、その間のことは完全に忘れていた」  見られないはずの「私」にひどく似ているがまるで違う鏡像を記憶喪失やタイム・スリップといった広角レンズが映し出す反省は、猛禽類の鳥瞰であるから、大気を寂漠にする。  失われたはずの一人称の記憶が三人称の記憶となってプラナリアの如く再生する物語のplotの展開は、場所の場所の浮上であるから大気が寂漠であるだけでなく、届かぬ手紙が届くphantom circuit 上で誰かと話しているかの如くなのである。  その独白的対話は、遠い人々との対話が誰よりも身近な隣人との対話に収斂するのである。この隣人は、見えないはずの「私」にひどく似ていると暗示がかかっているがまるで違う鏡像となって姿を現わす。見られないはずの半鏡像が見えてしまう、この世ならぬものの忽然とした出現(apparition-like suddenness)なのである。  つまり、世界の終わりに出たのであるが、その、身を離そうと足掻いても一歩も動けない半鏡像は、往々にしてどうにもならない突然の倦怠や厭世に冒されていると感じられてしまう。しかし、寂漠に被曝することは、激震であるし音もない疾走であるし落下である。

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