碧空1907 nautilus448(曖昧な更新の(種の)気配)
1907 nautilus448(曖昧な更新の(種の)気配)
半鏡像のFaust は、Jesus Christを目撃するようなもので、目撃したことにならない。濾過や変換を駆使して特異な器官の延長を以て撮影して浮かび上がったとしても、このブラックホールは、撮影したことにならない。これは、Mephistophelesにも当て嵌まる。
偶然のヨハネは、記憶喪失やタイム・スリップのような特異な器官の延長を以て、見えないはずの「私」を見るために、あるいは「私」が一人になるために隣人になる救済の暗示である。
「私」とは何か。Jesus Christとは何か。I am the life and the ressurection は、問としての主語と解としての述語が同じ「私」になって同語反復に見えてしまうのを回避しようと足掻くのであるが、しかし「私」と「私」が出会うのは、問としての「私」と解としての「私」が解離しない中間で、一つになるために半分になって「私」は頓挫するのである。
Jesus Christとは「私」の極端な肥大ではなく、座礁である。問としての「私」と解としての「私」が解離して「私」が反復するかに見えるのは、この座礁に目を瞑ってこらえるのである。
この習慣的反復は、折々の偶然の「私」と「私」の間に折々の偶然の「私」の平均値が種の如く出現して更新するのであるが、その、曖昧な更新の(種の)気配は、折々の偶然の「私」がなんと!媒体であるという座礁や混乱を償うようにコピーしている。


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