碧空1909 nautilus450(立ち上がれないほどに胸が広濶にざわめく終結法)
1909 nautilus450(立ち上がれないほどに胸が広濶にざわめく終結法)
半鏡像は既視感であるが、通俗の語彙に解消した既視感は同一のものと同種のものが知らぬ間に変脱してしまう曖昧性に触れているに過ぎなく、何かまるで違う。
習慣的「私」の反復は、同一のものと同種のものがいつの間にか反転、変脱して曖昧な日常の惰性、その、とっくに過ぎ去っているはずなのに過ぎ去らない過冷却状態の現在は、踏み出しても踏み出しても一歩も進まない世界の終わりを償うようにコピーしている。
物語のplotは発端から結末に到達していて鬱状態なのだが、plotの展開は躁状態に変態していて、最初の問が変脱した最初の解が次の問に反転して、というように最後の問と最後の解に到達するまで反転変脱が沸々と繰り返されて果たして最初の問、運命の問を脱け出せない。何事モナカッタカノヨウニマタ一日ガ始マッタといった、立ち上がれないほどに胸が広濶にざわめく終結法は、こうした鏡と鏡像の中間、「私」と「私」の中間に被曝した既視感や寂漠や独白的対話が迫るのであって、真に迫るのではない。


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