碧空1924 nautilus465(響いて来る「地獄」や「和蘭陀」)
1924 nautilus465(響いて来る「地獄」や「和蘭陀」)
地獄へと引き込まれるような満開の桜の続く木の下道に入り込もうと何度たもとおり返しても入り込めない、その落下のような目眩と焦燥は、「思いがけない景色を見て和蘭陀へ流される」(泉鏡花)のである。
それは、同一のものが同種のものに変脱して問に反転した同種のものが同一のものを以て償われ、反復なのに一回限りで、最高度の想起なのに何かまるで思い出せない「私」の崩壊である。潜伏するはずの目的と場所と後れて来るはずの「私」が解離しない鏡と鏡像の中間に吸い込まれるように脱け出せないのである。
この、爛漫の景色をして浮かれるように現われた宿世の気配を、「地獄」や「和蘭陀」は伝達しようとするのであるが、何か復讐的に響くのは、「地獄」や「和蘭陀」が、metamorphosis だからである。贖罪とも救済ともつかないnarcissus(Narcissus)のように、同一のものが同種のものの振りをして償うコピーなのである。


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