Friday, June 11, 2021

碧空1925 nautilus466(贖罪の如く救済の如く「水仙」へ流される)

1925 nautilus466(贖罪の如く救済の如く「水仙」へ流される)  行く手に野火となって上がった(反復なのに一回限りで、最高度の想起なのに何かまるで思い出せない)「私」の、「私」というものの崩壊であるような「野火」は、鏡と鏡像が解離した作品のことではなく、野火の(同一のものが同種のものの振りをする)metamorphosis である。漠として言霊が迫ろうとするのは、言葉が一回限りになる、このmetamorphosis である。  narcissus(Narcissus)は、この、言葉が一回限りになるmetamorphosis で、Echoを、Echoの隠喩で鏡と鏡像の中間から脱け出せないNarcissus を、償うようにコピーしている。贖罪の如く救済の如く、まるで「水仙」へ流されるというようだ。  「野火」(大岡昇平)に現われる「私」を脅かす運命の、奇妙な数や雲の形や森の道というように何度も変異する狙撃の気配は、真に迫るのではなく、この「私」と「私」の中間が、鏡と鏡像の中間が迫って贖罪の如く救済の如く、まるで「野火」へ流されるというようだ。

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