碧空1940 nautilus481(隣人的献身、献身的隣人)
1940 nautilus481(隣人的献身、献身的隣人)
「山椒太夫」はどうして「安寿と厨子王」ではないのか。応化の実験を献身的に表現するのは、安寿と厨子王の流転ではないのか。
鴎外の作品履歴からは「澁江抽齋」の精神は「山椒太夫」であるが、どちらも応化の実験を献身的に表現する一つの解である。しかし、応化の実験に導かれるのは「澁江抽齋」の場合は鴎外にして、「山椒太夫」の場合は安寿と厨子王である。この、一つになるために半分になる献身(半鏡像)を償うようにコピーして、一人になるために隣人となって分業する、その器官の延長が、澁江抽齋、そして山椒太夫である。
つまり、安寿に献身が厨子王に対して隣人的に現われたように、澁江抽齋は鴎外に対して、山椒太夫は安寿と厨子王に対して隣人が献身的に現われたのである。


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