碧空1942 nautilus483(献身と分身の間の深淵)
1942 nautilus483(献身と分身の間の深淵)
「それはアンスル・ボルンという30歳の巡回牧師で、ある日(1887年1月17日)彼は銀行から551 ドルの預金をおろし、突然グリーンから失踪、2ヶ月の間行方不明であった。この間彼はA.J.Brownと名乗ってペンシルベニアのノーリスタウンで小さな雑貨店を切りまわし、仕入れ万端を立派にやっていた。しかもこうした仕事はそれまでに一度もやったことがなかった。1887年3月14日、彼は突然覚醒して家に戻ったが、その間のことは完全に忘れていた」
献身(アンスル・ボルン)を償うようにコピーして、その被写体が消滅するのではなく疾しさとなって潜伏することになる分身(A.J.Brown )の、その影(となったアンスル・ボルン)の受肉、それが、doppelgaenger である。この半具体(抽象と具体の中間)は、言葉や貨幣のように流通する。
献身は流通しないし、過ぎ去らない既視の気配であるが、分身(器官の延長としての隣人)は言葉や貨幣が伝わるように過ぎ去る。アンスル・ボルンが流通して過ぎ去るというのであれば、その身分は、献身ではなく分身である。
献身と分身の間の深淵は、何か記憶喪失のような失踪である。分身の通過が何か復讐的であるのは、この、何か記憶喪失のようなものがまるで何か思い出そうとしているかのように引き攣るからである。応化して導かれる安寿や厨子王と、分身して流通する安寿や厨子王とは、瓜二つなのだが何かまるで違う。献身と分身の間の深淵は、分業する身分の差異のようなものではない。


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