碧空1979 nautilus530(空虚の発見!あるいは威儀!)
1979 nautilus530(空虚の発見!あるいは威儀!)
一体、Jesus Christは、十字架上でマリアに入れ替わるのか、十字架降下の時か、それとも死体置場でもう一人のマリアにか、それとも巷で隣り合う人にか。
しかし、復活は、そうした差異がどうでもいい異常接近なのである。いつの間にか、村人の一体誰が人狼なのか分からないように迫って、それはもしかして自分なのかも知れないように迫って、世界の終わりに出る隠れなさである。「私」は、まるで空虚の如く、疑わしい。それは、空虚の発見であるが、真偽がどうでもいい空虚の発見!などとは、まるでばかげていないか。
しかも、この、ばかげたことが、そのまま威儀!になることが、Jesus Christノ魔術なのである。


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