Sunday, August 15, 2021

碧空1990 nautilus541(絶対の恋、絶対の被害)

1990 nautilus541(絶対の恋、絶対の被害)  「ヴェルテルはロッテが先日馬車から降りた場所に(いつも)いる」(Goethe)というような身も世もない焦燥は、極端に私的なタイム・スリップじみていて、雌雄異体の気配を媒質にして屈折すると、窃盗や姦通に見えてしまう。この世のものの神的想起と、この世のものが忘れてしまうこととの区別がおかされている焦燥を、タイム・スリップは償うように(あるいは、盗むように)コピーしているのである。  象のように軽やかに漂うJesus Christの、その影は世界の終わり!であるから、実在するかのようになろうとして広がる世界を媒質にして屈折すると、その、象のように軽やかに漂う説教行脚も、窃盗や姦通に見えてしまう。  極端に私的に通り魔に被曝して、それが世間を媒質にして屈折すると何か「真景累ヶ淵」(円朝)のような因縁じみた繋がりを鑿索したくなるのも、その、何モシテイナイノニ!選び抜かれた、まるで妊娠するような絶対の被害が、漠として窃盗や姦通や何か禁止に感じられるからである。

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