Sunday, August 22, 2021

碧空1997 nautilus548(芝居がかった雰囲気)

1997 nautilus548(芝居がかった雰囲気)  秘密を解くようにして保存する、その、贖罪のような救済のような表現がmetamorphosis であるが、死は、死体を何よりも公的なものにして処理するためのエネルギー状態ではなく、何よりも私的なものの気配がガスの如く立ち込める失踪であるから、metamorphosis の通俗化、死んで源氏蛍やら精霊蜻蛉、平家蟹やらになると夢想したくなるのは極自然である。  ヴェルテルの自殺は、拳銃を器官の延長としていて、その、一丁の拳銃はロッテが触ってボロニヤ石(nautilus544 )の如くロッテが呪術と比喩の間に姿を現わしたのであるし、拳銃を頭に発射することは拳銃になるまで器官を延長する分身であるから、二重のmetamorphosis! である。  つまり、極端に私的な婚姻の儀式なのである。Oedipus と母が分け合うような運命がシナリオに矛盾しない範囲で偶然の個や悪や偽や症状となって、その、嘘が大気となって真が伝わるような歪みが、真ではないが嘘なのでもない芝居がかった雰囲気である。  ヴェルテルは透明になるまで小さく小さく縮んで、すると世界は声になる。オマエハ誰ダ!しかしヴェルテルは、アナタハモシヤオ母サン!と叫んだはずなのだ。

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