碧空1998 nautilus549(母を尋ねる旅の、その失踪の彫刻)
1998 nautilus549(母を尋ねる旅の、その失踪の彫刻)
二時間もつづいて炎天下でアフリカ大平原を横ぎった後、土人は静かにタアル語で言った。
「長い間、お尋ねしようと思っていたのです。あなたが独りでこのような草原におられ、そして太陽がかように草むらの上を照らすとき、何ものかが話すように思われたことはありませんか。私が言うのは耳で聞こえるものではなしに、あなたが小さく非常に小さく、他の方が非常に大きくなるように思われるものです」
Jesus Christは透明になるまで小さく小さく縮んで、すると世界は声になる。オマエハ誰ダ!しかしJesus Christは、アナタハモシヤオ母サン!と叫んだはずなのだ。
つまり、Jesus Christの、遠吠えのように広がる荒野で透明になるまで小さく小さくなる運動は、母を尋ねる旅なのである。世界は牝のSphinxの如く重低音の声になって、オマエハ誰ダ!と謎掛けるが、Echo状態のJesus Christは、アナタハモシヤオ母サン!と叫んだのにオマエハ誰ダ!と口走ってしまう。
エジプトへ逃避する一行を写真撮影したとしても、マリアは写っていない。Jesus Christとマリアが分け合う運命のようにしてマリアは導くが、マリアはその言語を話す最後の一羽となって(初めから聖史劇のように気味悪く芝居がかった)極端に私的な婚姻の儀式へ導くが、その、釘づけの磔刑の十字交叉は、母を尋ねる旅が二重の責めの秘密を解くようにして保存する(何よりも私的なものの濃霧のように立ち込める)失踪の彫刻なのである。


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