碧空2034 nautilus585(最初に見た藁しべではなく)
2034 nautilus585(最初に見た藁しべではなく)
問と解の間の振動は、社会契約の振りもする。
一本の藁しべの如く呼び出された「私」は(まるで罪があるかのように)償うようにコピーして、命令と服従の中間に吸い込まれるのである。社会契約は命令と服従が解離して分業するように見えるが、発端の藁しべは服従のエネルギー状態から命令のエネルギー状態に反転して、次々と償うようなコピーと反転が(いや継ぎ継ぎの世代交代の形式で)連鎖する。それは、姿を現わすために姿を消す運試しなのである。
運試しの(エネルギー状態が次々と反転する)果てしもない連鎖は、plotの展開の如くして、神話的懲罰である。一本の藁しべを発端とする運試しは、姿を現わすために姿を消す媒体性の、その、問と解の中間から身を振りほどくように、器官の延長としての言葉や貨幣といった媒体(抽象と具体の中間)が出現することになる。藁しべは半具体になる。それは発端の(最初に見た)偶然の具体ではなく、その(最初の)解が問に反転して展開する諸意味の間に、諸価値の間に(運命や種の如く)出現しては逃れ去る。Jean-JacquesとJean-Jacquesの間にRousseauが(一般意志や和声の如く)出現しては逃れ去るように。


0 Comments:
Post a Comment
<< Home