碧空2052 nautilus603(傍目の効果、「私」の揮発)
2052 nautilus603(傍目の効果、「私」の揮発)
傍目の効果とは、告白することが伝聞したことになる効果、自然は(不安にならないようにとでもいうかのように)媒体でなくなって発見されることになるし、「私」は(不安にならないようにとでもいうかのように)何か一貫して不易な魂の如くして、世界の終わりは発見されるはずのない大陸ではなくなって自然の範疇なのである。
自然は大いなる擬態にして発見されることになる大陸であるが、そのことを知らない。しかし、その擬態疲労は自然の奇妙な覚醒で、というのも自然ではなくなる覚醒なのだから、それは、傍目の効果に包まれた発見とは何かまるで違う。
「私」もまた奇妙な擬態にして死体や鏡像とは懸け離れた秘密な領域であるが、その擬態疲労(何か一貫して不易な魂ではなくなってしまう不安)は「私」というものが打ち消される奇妙な覚醒ではあっても、無の発見とまで口走るのは卑下なのか傲慢なのか分からないし、その驚きは懐疑、嫉妬、疾しさと区別がつかない。「私」と呼ばれる擬態が解けるということは、発見とは懸け離れているのである。
究極のスペクタクル、究極の荘厳、究極の隠れなさ、世界の終わりは、どこまで行けば姿を現わすのか、あるいは、いつまで待てば姿を現わすのか興味津々になるというふうにではなく、いきなり傍目の効果が決壊して場所があふれ出して、発見されるはずのない大陸が音もなく浮上、隠れ場所が揮発するのである。Jesus Christの演繹の試みは、この、隠れ場所の揮発、隠れ場所の別のエネルギー状態、別の位格である「私」の揮発に出てしまう。


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