Monday, November 15, 2021

碧空2082 nautilus633(今生の奥地)

2082 nautilus633(今生の奥地)  今生の途上にあって、伏線のように未来の展開を孕んでいるというのでもなく、ただ単に目が合っただけの、袖触れ合うばかりの、物言わぬ偶然であるのに、視界に迷い込んで来た犬が街角を曲がり折れる前にひたっと立ち止まって振り返る如く、唐突に今生の奥地から(誰かの吐息が頬にかかるように)記憶のかけらが甦るので、本当に「私」の記憶なのか、あるいは、出来事の断片に居合わせた「私」と甦った記憶のかけらに居合わせた「私」が本当に同一の「私」なのか疑わしく、何かいたずらっぽくて、街角の破れかけたポスターが視界に迷い込んでいる如く、それは誰のためか、偶然であるはずがない。  そう自然が告げる。  意図されたと感じるほどまるで偶然の異常接近は、秘密じみていて、今生の奥地は、「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」(Goethe)を意図と偶然の間に展開する秘密結社や、「アメリカ(失踪)」(F.Kafka )を偶然が猖獗を極めるように演出する「オクラホマ劇場」の如く、隣り合う人々を三々五々あるいは犇めくまでに送り出して来て、遠回しに誘導し、隠密に監視する勢力の巣である。  このようにして、ヴィルヘルムの大航海時代は運命じみた陰謀であるのに、どうして過ちと感じられるのか。「酔いどれ草の仲買人」(J.Barth )の如く、どう本当の姿をとっても偽りであるような暴かれなさに出てしまうのである。このようにして、女騎士!は送り出されて来た女性の間に種の如く出現して牝のSphinxの如く謎掛けする。ヴィルヘルムがアマツォーネ!と叫ぶと、送り出されて来るテレーゼも、いつの間にか一対になるように増えているロターリオの妹も、Baronesse の二重の意味から分身する男爵令嬢も男爵夫人も、女騎士!になってしまう。それは、複数の気配なのではなく、予定調和的全体の気配である。

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