碧空2108 nautilus659(あるはずの真実)
2108 nautilus659(あるはずの真実)
「母の兄に懸想する娘」と対称的な異本は「父の妹に懸想する息子」であるが、そこにある対い形成の障害(不釣り合いな年齢)の異本としての「父に懸想する未亡人に懸想する息子」は、もう一つの障害(血の近さ)を回避するものの、衝突する二組の対い形成の試みを含んでいる。(「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」第二巻Goethe)
それは恐れていた衝突の異本すなわち「父に懸想する父の妹(の娘)に懸想する息子」を回避するかに見える。しかし、隠された葛藤は、父の妹と、妹の娘とが一つだということである。運命を回避しようとして運命に突き進んでしまうように、この葛藤を回避しようとして父の妹ノ娘が(夢の如く)未亡人となって圧縮されて置き換えられても、障害に突進しているのであって、このような強迫的な複写、反復は、あるはずの真実を(父の妹ノ娘の、そのノが同格であるようなエネルギー状態を)復讐的に埋め合わせるが、打開ではない。
しかし、その、あるはずの真実が、対い形成の失敗を復讐的に埋め合わせる如くであるのはどうしたことだろうか。
罰が慰めであるのは、そもそも、この世のことどもは、罪が姿を現わすために罰となって姿を消すことだからである。運命や出自や境遇が不覚にも犯す出来事は、贖罪のような救済のような何か安堵を誘うのである。
あるはずの真実を(父の妹ノ娘の、そのノが同格であるようなエネルギー状態を)未亡人は、夢の如く謎掛けする。父の妹と妹の娘が一つであることを告知するように、父と息子は気味悪いほど瓜二つなのである。自然な対い形成は、どこをどう迂回しても、自食のエネルギー状態なのである。


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