Sunday, January 30, 2022

碧空2158 nautilus709(物語の魔法、混合種の小さくなる魔法)

2158 nautilus709(物語の魔法、混合種の小さくなる魔法)  メルジーネと呼ばれる海の妖精は、水や地の精もそうなのだが、黄昏時に、すぐそばにいるのが分からなくなるほど伸長して大きくなるが、それとは逆に、その美しい人(ネオ・メルジーネ)は、一緒にいないときは携帯する箱の中に入ってしまうほどに縮小してしまっているのを「私」は発見する。というより、本当は覗いてはならない箱の中の秘密を、箱の亀裂から洩れている光に誘われて見てしまうのだ。  ニルスの場合、昼間の奥地で禁止をおかしてしまったことを償うように見えなくなるまでに縮小してしまうが、渡る雁の翼に乗った視野の拡張とズーム・アップの増強から百年にひとたび姿を現わす都が見えるようになるのである。  Jesus Christの場合、長靴を穿いた猫もそうなのだが、その復活、その自食を通して完璧にあざむく隣人は、その顔面に他の誰かの顔が浮かび上がって来るまであと0秒の、その0の膨張である。その、タイム・スリップするような気配は、まるで他の誰かに降りかかっているかのようで思わず振り返ってしまう。  鶴女房の場合、誘惑されて正体の発覚の瞬間を覗き込むのは鶴女房であるが、機織る音に誘惑されて正体が異類であることを「私」が思いがけなくも何か愚鈍に発見するのは、「私」が混合種であることの痙攣的表現(鶴女房を通した告白)であると同時に混合種であることは鶴女房に任せてしまうのである。それが、何カ愚鈍ニ!といった感じなのである。  これは、オマエノコトナンダゾ!といった(恐喝じみた)神託であるし、神託が物語の魔法の起原である。物語の日常が予定調和的であるのは種に迫るのであるが、それが混合種の、小さく非常に小さくなる魔法である。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home