碧空2266 nautilus817(metaphorの気配)
2266 nautilus817(metaphorの気配)
metamorphosis の、その、種が偶然の個となって出現すると同時に偶然の具体が占める場所となって潜伏する次元跳躍を、metaphorは償うようにコピーする。妖しく迫るmetaphorの気配に包まれた鶴女房や雪女はparamorph であるが、ケンタウロスは、そうした種と個の中間の、鏡も鏡像も媒体であるような次元跳躍の、その二重性の魅惑の、突然のイラストである。
1963年晩冬のひどく遅れて到着したバスの車掌と「私」を乗せた惑星を2022年の「私」を乗せた惑星がのぞき込む、その、脈絡のない突然の想起(nautilus814 )も、ケンタウロスが迫るのである。
半鏡像は「媒体を通らなければならない宿命」(「The Life and Opinions of Tristram Shandy,Gentleman」Laurence Sterne )につきまとわれ、方向がねじ曲げられ屈折してしまうかに見える。予告では、母がトリストラム・シャンディを1718年3月の第一日曜日から第一月曜日の間にどのように身ごもったかを話すはずの第六章が、すぐ息切れするような、水疵病の、脚の腫れた、蹄に突起のある、肉のゲッソリ落ちた老いぼれ馬に跨がって悪い道を往来する馬上の錆止め程度の哲学三昧に耽る教区の牧師と「道楽の馬」の話で埋まってしまうのも、脈絡のない、不運な脱線に見えてそうではなく、「媒体を通らなければならない宿命」につきまとわれた屈折、すなわちmetaphorの気配なのである。
この暗喩的屈折は遅れて来る「私」の孤独な嗜好や性癖ではなく、やむにやまれぬ呼び声のようにケンタウロスが迫るのである。


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