碧空2310 nautilus861(同じと見なす技術の不発)
2310 nautilus861(同じと見なす技術の不発)
この世のものが鎧う擬態が擬態の気配を消した真実らしさは、その、隠れていたものが顕れる効果を、さらには、同じと見なす技術が補強している。それは、個別化すると同時に一般化する範疇の妙術であるが、この技術を学ばずに使いこなすのは後れて来る「私」である。後れて来る「私」の遠近法は、自らが同一の「私」か同種の「私」であるように、同じと見なす技術なのである。
この、巧妙な技術の不発は、同じはずのものが何か取り替えられてしまっているかのようにまるで違って見える。同一のものでも同種のものでもなく、あるいは、コレハ何カ遠イ暗喩デハナイカ、あるいは、コレハ何カ映画ノ何処カノ場面デハナイカ、あるいは、コレハ別ノ惑星ノコトデハナイカ、といったように変形、屈折して届く既視感の報告がばらばらに散在しているが、そのように、この世の真実らしさを疑うのは後れて来る「私」ではなく、一体誰なのか。
しかし、誰カガイル!と薄気味悪く迫る気配は真実らしさよりも真実らしく迫るのに真実らしさは疑わしく、この、真に迫ろうとして屈折する遠近法の崩壊に面して、狼狽カラ、転移発作的に、一体誰なのか!そんなふうに、真に迫ろうとして屈折する問の馴染みの形にしがみつくに過ぎない。


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