Saturday, July 09, 2022

碧空2316 nautilus867(度忘れ状態のmetaphor!)

2316 nautilus867(度忘れ状態のmetaphor!)  業が誰のものでもないのは、「媒体を通さなくてはならない宿命」が誰のものでもない如くにである。トリストラムは呼び出されているに過ぎないが、偶然のトリストラムを通して宿命は姿を現わし、従って姿を消して(場所となって)潜伏するのであるから、この、後れて来る「私」は何か疾しいし、この、場所となった潜伏は誰もいない部屋を呑み込んだ鏡の如く、誰でもないし誰もいない。  metaphorの気配を組成するのは、この疾しさ、このthere are noneであるが、there are noneは、誰でもないと誰もいないとを同じと見なすcategoryに包まれて夢の如く圧縮している。  「私」とは、何か遠い、一体何のことか喉元まで上り詰めて来ているが思い出せないmetaphor!である。Jesus Christは、この、度忘れ状態のmetaphor!に迫る試みである。

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