Saturday, July 23, 2022

碧空2330 nautilus881(それ自体が後れて辿るというように3)

2330 nautilus881(それ自体が後れて辿るというように3)  ユトレヒトの取り決めに落胆した叔父トウビーが「静けさ」のあとに「沈黙」を従えて居間に入って来て、その頃までにはすっかり落胆し切ってマントを頭の上からすっぽり被ると、叔父の隣の安楽椅子に「無気力」がしまりのない体つきとうつろな目をして音もなく腰をおろす。(「The Life and Opinions of Tristram Shandy,Gentleman」第六巻第三十六章 L.Sterne)  こうした何か別にあるかの如く漂うectoplasm は、それ自体が後れて辿る如く受肉する言霊であるが、状態と位置が解離しているのではなく、しかしこの、解離しているかに見える叙述は、状態と位置の中間に隠喩的に迫ろうとするホメロス的な分節の試みである。しかし迫るのは、状態と位置の中間の暴露である。それ自体が後れて辿る如く受肉する肖像が、呪う如くに迫るのである。  呪う如く迫る深川通り魔事件は、それ自体が後れて辿る如く受肉するectoplasm であるが、状態と位置が解離しているかに見える事件の展開自体が、偶然の個となって姿を現わす種の、その鏡と鏡像の中間の、その位置異常(ectopia )にホメロスが迫る如くである。  しかし、呪う如くに迫るのは、この、額を落雷の如く直撃する電波がアースされないectopia なのである。この、頭上に空飛ぶ円盤が降りて来るような位置異常を解釈する試みの一つが、現世の通り魔と生贄の関係が先祖の世で逆転する、どこからともない因縁の発掘であるし、通り魔につきまとって直接頭に来るしかも遠隔からの何か言葉とはまるで違った「電波」、モーゼの顔が光ったように通り魔の顔が光る「律法」である。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home