Wednesday, November 16, 2022

碧空1446 nautilus397(通底するゴシックの水音)

1446 nautilus397(通底するゴシックの水音)  バイエルンの岩山に聳え立つノイシュヴァンシュタイン城がルートヴィヒ二世の運命や種、良心や精神といった、知を共にする無意識を映し出す鏡(症状)であるように、the physique of the House of Usherや、Roderick、Madelineといった偶然のan Usherはthe morale of the existence of Usherの媒体である。誰もいない部屋を飲み込んだ鏡の如く、誰でもないし誰もいない(there are none)。  王というものは、その、旅人のように後れて来る「私」が媒体であることを打ち消すまでにコピーして媒体であることを忘れていられる変態である。同じようにして、黒いペストや聖アントワーヌ熱、ライ麦と人狼と修道院の中世がノイシュヴァンシュタイン城(何よりも後れて来る最新の出来事)となって19世紀末葉に姿を現わすために姿を消す、その、白亜の海底が現れる症状は、metaphorであることを忘れていられる変態である。それは憑依じみているが、この、何か記憶喪失を孕んで何よりも後れて来る最新の知は、神託や推理の如く知を共にして良心を占めるのである。  白鳥の如きノイシュヴァンシュタイン城は、憔悴しきって瘴気を出すアッシャー家の、その、カタレプシー(強梗症)やアパシーが辛うじて崩落や屈服に抗っているような蒼然とした屋敷を打ち消すまでにコピーした変態で、ゴシックの水音が通底している。

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