碧空1531 nautilus482(聖アントワーヌの覚醒、「私」の誘惑)
1531 nautilus482(聖アントワーヌの覚醒、「私」の誘惑)
究極のELPIS は、一体誰に未来があるかのようなのか!
「私」が誰でもなくなるのに、誰もいないのに、それが「私」の覚醒であるような「誰かがいる!」ような奇妙な事態が迫る、それが聖アントワーヌの誘惑である。
聖アントワーヌが誰でもなくなるのに、誰もいないのに、それが聖アントワーヌの覚醒であるような「誰かがいる!」ような奇妙な事態が迫る、それが「私」の誘惑である。
それ自体を後れて辿るような、流されたJesus ChristやOedipus の彷徨が「私」のmetaphorであるように、それ自体を後れて辿る「私」の誘惑は姿を現わすために聖アントワーヌの誘惑となって姿を消す。
聖アントワーヌの誘惑は、一体誰に未来があるかのようなのか!といった問すなわち究極のELPIS である。誘う、あるいは迫るのは、それ自体を後れて辿る「私」にかかる「誰かがいる!」である。鸚鵡貝の薄気味悪い目の如く、気味の悪い丑待ちの夜の誰もいない部屋を呑み込んだ鏡(の破裂)の如く、何度ものぞきに戻らずにはいないように誘う、あるいは迫るのである。


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