碧空1566 nautilus517(贖う変身)
1566 nautilus517(贖う変身)
咸平五年、建州ノ海賈周世昌風ニ遭ヒテ漂ヒ日本ニ至ル。凡ソ七年ニシテ還ルコトヲ得タリ。其ノ国人滕木吉ト至ル。上、皆之ヲ召見ス。世昌其ノ国人唱和ノ詩ヲ以ッテ来リ上ツル。詞ハ甚ダ雕刻ナレドモ膚浅ニシテ取ル所ナシ。・・・上、滕木吉ヲシテ持スル所ノ木弓矢ヲ以ッテ挽射セシム。矢遠キコト能ハズ。其ノ故ヲ詰ルニ、国中、戦闘ヲ習ハズト(宋史日本伝)
ゴロブニン船長の松前幽閉が解けたその年、ペテルスブルグの都から日本国への贈りものは、一個の時計だった。それは、発条を充たせば、川の如きものが横に流れ、馬首が出て来て水飼う工夫だった。
騾馬は、昔は支那より西に限られた。
柑橘の豊麗な地中海の処々には山が岸浜まで迫っていて、冬なお温和な白い浜と山の中腹の白い家並とを結ぶ坂道を、荷を振り分けた驢馬がひねもす往来している。その頃、山向うのローヌの平野には、ミストラルと呼ばれる北風が吹き荒れているという。(「洩れる白い息」繞々乎第11号)
こんなにも私的なのに、隠れなさを躱せない。この、果てしもない取り返しのつかなさは、まるで神の怒りに触れて贖う変身というようだ。
神の怒りに触れて贖う多彩な罰は、究極の罰である(打ち消すまでにコピーする変態の)ELPIS の果てしなさを模写するか、あるいは変態を模写するか、SisyphosやTantalosやDanaosの49人の娘の終わりのない状況はELPIS と区別がつかないし、metamorphosis やmetaphorは贖いあるいは救済なのである。


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