碧空1626 nautilus577(約束の、シャルロッテの光景)
1626 nautilus577(約束の、シャルロッテの光景)
誰かが通った道は、幽霊を見つけたのは「私」であるのに、幽霊は「私」を探しているようではない!というようにゴシックなのである。それは、遠吠えて呼び交わさないではいない約束の遭遇なのに偶然の発見、種の良心を打ち消すまでにコピーする憧憬である。
トルコ女のゾライード・チュルクの、川沿いの城壁の裏手にあって、窓辺の金魚鉢、鉢植えの木犀草、頬紅を塗り、長いイアリングをつけた白いキャミソール姿の女達のいる悪所は、1837年夏の、若いフレデリックらの妄想の震源になるだけでなく、流域を漠として聖域にするのであるが、その、異性を尋ねる眩暈がゴシックでなくなるのは、種の良心ではなく本の中の図を打ち消すまでにコピーする憧憬に変質したからである。
フレデリックの「情操教育」(G.Flaubert)入門とは、若きウェルテルが初めてシャルロッテに会って、子供たちに黒パンを切り分けて与える光景をうっとり見詰めている図を打ち消すまでにコピーする憧憬なのである。アルヌー夫人は、フレデリックが見つけた約束の、しかもフレデリックを探しているようではないシャルロッテの光景なのである。


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