碧空1632 nautilus583(偽の「私」、偽のJesus)
1632 nautilus583(偽の「私」、偽のJesus)
一体「私」は如何に主題の位置を占めることになるのか。それは、一体何なのか。そもそも、それは何かなのか。
それは、自らを打ち消すまでにコピーする嘘つきであるように、しかもその嘘つき振りの、その、連続の中止が解であるような飛躍(連続の中止)である。それは、Jesus Christや半人半馬や鶴女房の如く個と種の解離しない臨在の表現であるが、この世に入り込もうとする憧憬であるから憧憬の自乗である。1になるために-1になるような自乗なのである。
「私」となってこの世に入り込もうとする連続の中止は、「私」の連続を尋ねて打ち消すまでにコピーする偽りの「私」となって連続の中止に出てしまうが、この、初めてなのに初めてではない偽の「私」は憧憬なのである。
Jesus となってこの世に入り込もうとする連続の中止は、Christの連続を尋ねて打ち消すまでにコピーする偽りのJesus となって連続の中止に出てしまうが、この、初めてなのに初めてではない偽のJesus は憧憬なのである。


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