Tuesday, August 08, 2023

碧空1909 nautilus660(カインの断面、海幸彦ノ釣針の憧憬)

1909 nautilus660(カインの断面、海幸彦ノ釣針の憧憬)  「私」が反省する「私」の限界は断面であるが、それは「私」の細部というようなものではない。現実を支配するcategoryは部分と全体を同じと見なして、寛容なのである。その寛容から、この世のものにはまるで魂が宿る如く、あるいはまるでヤーウェの息が頬にかかる如くそれは、まるでもっと「私」!というふうだ。  これは、この世のものと「私」とを結ぶ、その平行する時間の持続を結ぶ最短の間道である。現実を知ろしめすcategoryは、真実と「私」を同じと見なす寛容、あるいは混同する告白である。  海幸彦が「私」を尋ねて瓜二つの山幸彦に出てしまう告白は、ヤーウェがカインの連続を切断するとカインの断面がアベルであるようなものであるが、それは、呼び出しを食らうのはカインであるためにアベルになれない焦燥なのである。海幸彦が「私」と同じであると告白する、あの、真実の(交換不能の)釣針が、山幸彦には単なる器官の延長に過ぎない不寛容が海幸彦を苛立たせるが、海幸彦ノ釣針は器官の延長であることを打ち消すまでにコピーする憧憬なのである。

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