碧空1921 nautilus672(モーゼの誘導、雀の宿に迷い込む)
1921 nautilus672(モーゼの誘導、雀の宿に迷い込む)
純粋な独裁は、既視感であるはずだ。この無意識の露頭の断面が雀の宿というのであれば、この独裁の純粋にはOLD NICKのユーモア、あるいは取り消しがかかっている。
Jesus Christ以上のユーモアが見つかるとしても、それは、まるでもっとJesus Christ!ということでしかない。
モーゼの、その、一体の種の、夢の如き圧縮は時間の不安の断面であるから、モーゼが導く道は、足を踏み入れて見なければ徒渉できるかどうか分からない底なし沼のようなものである。一歩踏み出せぱ海は割れるが踏み出すそばから海が閉じるのも、Jesus Christが海面を歩くのも、
アナタハ何ヲシテイルノデスカ!と尋ねたくなる強硬症の奇怪なストップ・モーションも、昼間の奥地で子供が敷石に一つずつ足を踏み入れて辿っていく奇行も、
雀の宿に迷い込む春昼の露頭も、その隠喩である。


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