Sunday, January 28, 2024

碧空3080 nautilus1423(息どおる激情のもっともらしい説明、あるいは気休め)

3080 nautilus1423(息どおる激情のもっともらしい説明、あるいは気休め)  いきなり贖罪の「私」は、原罪を打ち消すまでにコピーする憧憬である。それはカインの贖罪の所作の如く、見捨てられる瞬間に隠れなくなって何か復讐的!(取り消せない!といった息どおる激情)であるが、それは、「私」が媒体であることの、その、無差別になる瞬間に特別になる葛藤(種と個の中間)を、一般化する瞬間に個別化する範疇の矛盾に変換した言葉や貨幣といった媒体の、その贖罪能が復讐的!(取り返しがつかない!無能)であることの由来である。  鶴女房は、罠から救出された、その特別な瞬間に無差別に沈んで隠れてしまう。この、種と個の中間の葛藤は、何も変わっていないのに取り替えられてしまうのである。「私」はあの時のあの鶴であると告白して無差別なincognito から藻掻き出ようとする極端に私的な緊張の瞬間はまた種と個の中間に呑み込まれる。この、種と個の中間を打ち消すまでにコピーする反復は復讐と瓜二つで、その、劇的な贖罪の所作はどこにも届かないし、何も取り消せないし、何も取り返せないし、何もしていないのに後悔となっていたずらに憤る如くなのである。  カインは、何もしていないのに原罪に被曝している。しかし、その、何か取り消せない!といった憤りと後悔と疾しさのもっともらしい説明に、弟殺しの冤罪を被る。あるいは気休めに、してもいない弟殺しを人面瘡となって自白するのである。  アベルは、カインの場所となって(それと一つに於いて、疾しさとなって)潜伏した原罪を人格に変換したのであって、カインと瓜二つの(しかし余計な)シャムの双子の片割れである。

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