碧空3083 nautilus1426(どこからともない贖罪、どこからともない影)
3083 nautilus1426(どこからともない贖罪、どこからともない影)
1 贖罪はどこからともない復讐の方式ということなのではなく、しかし復讐的!とは、どんな贖罪を以てしても何も取り消せない!どこからともない物狂わしさが込み上げる激情である。
2 鏡像は、媒体(鏡)に魔術的に転移して封じ込められた場所、あるいは疾しさである。場所となって(それと一つに於いて疾しさとなって)潜伏した無意識が、鏡に写ったまるで何もかも見透かすというような顔面が洩らす吐息となって迫るのである。
この1と2は、問と解の関係にあるはずだ。というのも、1の夢から何だろうと目覚めて、ふっと2が頭を過った、というふうなのだ。
「而してヤーウェ言ひたまひけるは視よ我傍らに一つの処あり汝磐の上に立つべし 我栄光其処を過る時に我なんぢを磐の穴に入れ我が過る時にわが手をもて汝を蔽はん 而してわが手を除くる時に汝わが背後を見るべしわが顔は見るべきにあらず」
モーゼは、媒体(磐)に種の夢が魔術的に転移して場所あるいは疾しさとなって影を写すのを見るのである。ヤーウェの背後は、その、人格に変換された影であるが、モーゼは影と共にある。「私」を現実にするのは、この影、どこからともない場所あるいは疾しさなのである。いきなり「私」はどこからともない贖罪であるが、それは目には目を式の変換なのではなく、打ち消すまでにコピーするmetamorphosis (憧憬)なのである。


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