Tuesday, March 12, 2024

碧空3124 nautilus1467(「私の」媒体性、「私」の姦通性)

3124 nautilus1467(「私の」媒体性、「私」の姦通性)  良心の要請が悪であることは、精神の要請が偽である認識の危機や種の要請が個である生殖の危機の如く、生活原則の危機である。  悪を回避しようとする恐れ、悔い、怒りといった動顛は、生活原則の危機を三つの時制に応じて発作的に模写している。未だ来ていない悪から徒に逃げようとし、既に起こった悪を空しく揉み消そうとし、今そこにある悪を取り消そうとしていよいよ今そこに据えてしまう、というような動顛となって表現するのである。  良心と悪の中間は、種と個の中間から類推すれば、「私」が媒体であることの矛盾の如く、悪は良心の媒体であって良心は姿を現わすために悪となって姿を消す、といった魔術的葛藤なのである。この、良心と悪の中間に種と個の中間を重ね合わせると、他の誰かのことが「私」のことになる「私」の媒体性を透き通って「私」の姦通性が浮かび上がる。

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