Thursday, May 16, 2024

碧空3189 nautilus1532(孤独な解、拡散する解)

3189 nautilus1532(孤独な解、拡散する解)  同一のものは「私」の如くである。「私」は何か不易で何か一貫しているが種の如く顔の如くいつの間にか変易する。別の水準で同種のものなのである。  同種のものは解に留まって孤独というのではなく問に反転するが、同一のものは「私」の如く、同一のものである限りで解に留まって危うく出来事である。取り返しがつかない、と一つに於いて、取り消せない。  大衆や追随して導かれる人々は、一体の種の如く、孤独と引き換えに問となってのたうつ。出来事ではない分だけ、他の誰かに降りかかった出来事が気になる。これは信仰なのだろうか。  基督教的信仰は、他の誰かのことが「私」のことになる復活である。問が孤独な解になって導かれる「私」に誰かの吐息がかかる、被窃視状態である。しかし、他の誰かに降りかかった出来事が気になる散漫は、「私」のことが他の誰かのことになって、壁や山岳を隔てて隣り合わせ拡散するのである。孤独ではなく寂漠が覆うが、拡散が危機を薄め、うやむやにするのである。

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