碧空3308 nautilus1651(一般性の猖獗)
3308 nautilus1651(一般性の猖獗)
分業の頂点に彷徨い出たOedipus は、しかし、自由にも孤独にもなれない。その、偶然の個や悪や偽りといった症状は運命じみた種や良心や精神といった無意識から自由になろうと跳躍するが、自由になるのではなく他の誰かになってしまう。一般性の猖獗である。
Oedipus の国土に人の姿をして悪疫が蔓延するのは、一般性が人の姿をして猛威を振るうのである。このmetaphorは、一般性を打ち消すまでにコピーするmetamorphosis と区別がつかない。悪疫は、一般性を打ち消すまでにコピーする憧憬であるし、一般性が姿を現わすために悪疫となって姿を消すのである。
ところで、祖殺しは種の良心であって、種の良心から遥か遠避かる荒野で誰でもなくなっても自由になるのではない。他の誰かの器官の延長になると一つに於いて他の誰かになるまで器官を延長する分業の頂点は、「私」と他の誰かを兼ねる生殖の頂点でもある。一人になるために半分になるのである。一体の種の如きOedipus を既視感の如く襲う神託は、このことを、他の誰かになって(他の誰かの舌を通して)おさらいするのである。
Oedipus はずっと既視感に罹っている。それは、一人になるために半分になる、一般性の猖獗である。


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