Tuesday, November 05, 2024

碧空3362 nautilus1705(誰も冤罪を躱せない!ということの告知)

3362 nautilus1705(誰も冤罪を躱せない!ということの告知)  「私」が媒体であるという矛盾に包まれ、他の誰かの器官の延長である「私」が他の誰かになるまで器官を延長する分業のオートマチズムに巻き込まれている限りは、誰が悪いのかという問は失効する。個本位では、目には目を式に目を確保することはできても、本当の犯人には到達しない。本当ではないが嘘でもないエネルギー状態の誰かが犯人として通るのは、妥協であるし、説得術次第である。しかし、供述(告白)や目撃証言(伝聞)や物的証拠に基づく推理などの説得力は、隠れていたものが顕れる効果に過ぎない。  この効果は、すなわち真偽が気になるのは、本当ではないが嘘でもないエネルギー状態ではない。ハイブリッドのエネルギー状態であるJesus Christは「私」の隠喩であるから、その登場は、誰も悪くないとはいわぬまでも誰が悪いのかという問の失効を告げている。真偽が気にならないのである。  逆に、この登場は、誰も冤罪を躱せない!ということの告知でもある。イエスは、身に覚えがなくてもオマエガ悪インダゾ!と観念して触れ回ったのである。

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