碧空3495 nautilus1838(本当のヨハネの顔)
3495 nautilus1838(本当のヨハネの顔)
鏡は「私」が他の誰かになるまで器官を延長して、「私」には見えない「私」の顔を見えるようにする。しかも「私」は他の誰かを映し出す媒体であって、しかもこの、鏡の如き「私」を代表するのは自由、孤独、思考であるから、矛盾は複雑である。
しかも、この代表は、狐憑き、類、生首が姿を現わすために自由、孤独、思考となって姿を消すのであるから、矛盾は増幅する。
自由、孤独、思考が代表する「私」の顔が壁に写す影が、狐憑き、類、生首である。自由は狐憑きの隠喩、孤独は類の隠喩、思考は生首の隠喩である。自由が運命に迫るように偽は精神に迫り、思考は生首に迫る。「私」には見えない「私」の顔に迫るのは真偽であるが、それは、「私」が他の誰かになるまで器官を延長して真偽が気になるのである。隠喩は試みであるから、真偽は生首に迫る実験である。
踊るサロメが捧げ持つ大きなプレートに盛られたヨハネの生首は、真偽を気にしたヨハネが他の誰かになるまで器官を延長して「私」の顔を見ようと斬首したのである。Jesus Christを見分けることができる!という本当のヨハネの顔がどんなものか、その首実検である。
これは本当にヨハネの首なのか。本当にヨハネは、Jesus Christと呼ばれる怪物を見分けられたのか!そもそも、この怪物は、見分けられるようなものなのか!


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