Thursday, April 24, 2025

碧空3532 nautilus1875(巡回牧師アンスル・ボルンの場合、ドクトル・ヘボンの場合)

3532 nautilus1875(巡回牧師アンスル・ボルンの場合、ドクトル・ヘボンの場合)  Hepburn は、日本語の音韻で捉えようとするとヘボンと聞こえる。幕末から明治の人々の耳に届いたのは、あの「和英語林集成」(美国平文)を編纂したヘボン氏の、あのヘボン式の、ヘボンである。  キャサリン・ヘボン、オードリー・ヘボン、銀幕の女優のエレガンスにそぐわない響きだとでも考えたのか、しかし美国では、ヘップバーンはHepburn になれない。  ヘボン氏がペンシルベニアのノーリスタウンで開業していた医院を畳んで米長老派の医療伝道の鬱勃とした呼び声にはるばると導かれ、クララ夫人と神奈川に上陸したのは1859年4月のことで、生麦事件では負傷者の治療にあたっている。A.J.Brown が出現した1887年1月のノーリスタウンは、もはや別の空の下である。同じ年、長州の大村益次郎も薫陶を受けたドクトル・ヘボンの、ヘボン博士の、ヘボン先生のヘボン塾は白金の明治学院となり、第一期生には「夜明け前」の藤村がいた。  「それはアンスル・ボルンという30歳の巡回牧師で、ある日(1887年1月17日)彼は銀行から551ドルの預金をおろし、突然グリーンから失踪、2ヶ月の間行方不明であった。この間彼はA.J.Brownと名乗ってペンシルベニアのノーリスタウンで小さな雑貨店を切りまわし、仕入れ万端を立派にやっていた。しかもこうした仕事はそれまでに一度もやったことがなかった。1887年3月14日、彼は突然覚醒して家に戻ったが、その間のことは完全に忘れていた」  巡回牧師に戻ったアンスル・ボルンはノーリスタウンの雑貨商A.J.Brown をunlearn して今を主張するが、それは消滅ではなく疾しさとなって潜伏し、何処でもない何処かもう一つのノーリスタウンでもう一人のA.J.Brown となってunlearn して今を主張するような、その、もう一つの解との異常接続が喉元まで上り詰めて来る度忘れのエネルギー状態である。  ノーリスタウンのドクトル・ヘボンを包んだ、このエネルギー状態は、巡回牧師アンスル・ボルンの如くに夢中遊行的失踪(fugue )にはならずに昇華するが、偶然を通してしか運命に迫れないように、症状を通してか無意識には迫れない。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home