Friday, May 09, 2025

碧空3547 nautilus1890(津軽の拙さ6)

3547 nautilus1890(津軽の拙さ6)  FOR AOMORIと表示された車輛の横腹に白く浮かんだ、スハフ 134273 それは単に車輛の重量、用途、形式、同一形式の製造番号を示す記号に留まらず、愛情を引き裂く離別の形式未満でもある。不断に限界を拡大する離別の平均値が、夢想以上の夢想となって現実をおかすのは、救済のアイデアであるが、津軽の拙さは目的未満である。(「列車」太宰治)  というのも、津軽の拙さは救済なのだろうかと自ら疑うからである。  1925年に梅鉢工場で製造された C51型の機関車は、同じ工場で同じ頃に製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寝台車各一輛と、貨車三輛とに、二百名の旅客と十万を越える通信と胸痛む物語とを載せ、午後の二時半になれば白い蒸気とピストンが色めき立って青森に向かって上野を出発する。列車番号は一〇三、といった流暢な詳細の取ってつけたような蘊蓄は、津軽の拙さは救済なのだろうかと、その目的未満にうろたえて、転移発作的に(耳の付近を掻くように)なぞるのである。  そうして照れたように俄に知識を仕込む発作も、この、津軽の拙さが具体となって姿を現わすために呼び出される伝道の途上のことであるが、それは、追い詰められたロオマンの宣教師ヨワン・バッティスタ・シロオテが切支丹屋敷の奴婢長助とはるに、信仰を捨てるなと暗い口をあけて叫ぶようなものである。離別の決定的な驀進を見届けるためであるかのようにテツさんを見送りに来て、思いがけない再会を喜ぶテツさんが何かに縋りつこうと思わず伸ばした手を払ってしまうようにあろうことか妻を紹介してしまう悪気のなさ、軽率、愚昧、不調法、酷薄でさえある間の悪さ拙さは、それが苟も習性だというのであれば、魔が魅(さ)すように救済に迫るのである。  というのも、習性とは生きられることだからである。

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