碧空3653 nautilus1996(疾しさの発症と急性のノスタルジー)
3653 nautilus1996(疾しさの発症と急性のノスタルジー)
×月×日に世界が終わるという信仰が猖獗して、或る家族は黒装束に身を固め夜明けとともに今にも起こるはずの(あるいは、起こったことにならない)スペクタクルを見逃すまいと決然と家の外に出る、それとは没交渉に、或る家族はまるで擬似地下室がシェルターになるとでもいうように、一団となれば何か躱せるとでもいうように漠然と家に閉じこもる。逃げ場のなさ(nowhere to hide )に狼狽した転移発作である。(「Nostalghia」A.Tarkovsky)
道成寺の若僧が大蛇の執拗な追跡を終に躱せない、その、疾しさの発症が、鐘の中に身を隠した若僧が瞋恚の火むらにぐるぐる巻にされて灰ではなく一滴の露となる如く、世界の終わりの、その信仰の猛威から脱け出した少年が世界の終わりはどうなったのか見届けようと遠方と夜が出会うところまで猛然と駈け出す、その、世界の終わりは姿を現わすために町の境界を兼ねて打ち連なる断崖となって姿を消す。一滴の露や断崖は、はかなさや行き詰まりに迫るのではなく、湖中の島の牢獄の如く隠れなさ(nowhere to hide )にである。
日常(他の誰かになるまでに器官を延長して他の誰かの器官の延長になる「私」を再現する時間)は、世界の終わり(媒体性の露頭)を打ち消すまでにコピーする憧憬、と一つに於いて、世界の終わりが打ち消されて疾しさとなって潜伏する記憶喪失である。疾しさの発症は、憧憬と記憶喪失の間に振動して他の誰かのことが「私」のことになる急性のノスタルジーに冒される。


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