碧空3752 nautilus2095(最後の適応)
3752 nautilus2095(最後の適応)
鏡像の発見は、朝の光と大きな顔と名を呼ぶ声に呼び出されて他の誰かの器官の延長になって、さらには、他の誰かになるまで器官を延長する社会生活の、その、一体の種の如き分業に組み込まれる適応の一歩である。
一方、適応が頓挫する危機に死んだ振りをする、その擬死発作にエラーが発生して本当に死んでしまうのは、それが随意のようであれ不随意のようであれ、不断に限界を拡大する社会の酷薄な間引きなのであるが、しかし不断に限界を拡大する「私」は鏡像を見失ったのではなく、酷薄な調整に負の適応が、「私」の死体を鏡像の如く発見する最後の適応になるイロニーなのである。
ナルキッソス(Narcissus )は、他の誰かになるまで器官を延長して「私」の死体を発見する。それが、オマエナンダゾと呼びかける水仙(narcissus )である。こうして排除は完了し、贖罪の如く救済の如くである。


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