Tuesday, December 09, 2025

碧空3761 nautilus2104(拷問と心中のアマルガム)

3761 nautilus2104(拷問と心中のアマルガム)  地理的にも階級的にも出自的にも越境を厳格に禁忌とする江戸の体制では、その、硬直なまでに諦念的な巨大な倦怠をはぐらかす気休めや気晴らしが思い出したように流行する。俳諧や川柳とか盆栽や盤景とかは、巨大なものを縮小してしまう写真撮影(真の闇をのぞき込む小人のオブスクラ)とか子供がつまむミニチュアのような序列や支配の逆転や転覆、金魚や朝顔や菖蒲といった品種の追究は、肉づきになって剥がれなくなった仮面をせめてずらそうとする呼吸法である。  それは、日常に忍び込んだ無礼講や伊勢参りであるが、ひたすらな反復は体制の思う壷である。体制の要請は反復なのであるから、こうした対抗を文化として回収してしまうのである。  しかし、心中の流行は越境の禁忌をおかすというだけでなく、反復の拒絶であるから体制に戻る気はないどころか体制を打ち消すことなのである。体制が黙って許すはずもないが、心中の失敗を見せしめに曝すのは体制の恥辱でこそあれ、威嚇どころか体制を疑う特異点にもなりかねない。  甘粕憲兵大尉が、大杉栄、伊藤野枝を虐殺して死体が井戸から見つかった、その、扇情的に迫る責め絵は、拷問と心中のアマルガム、心中を強制して曝すのであるが、責めることは体制を疑う特異点に鈍感なのではなく麻痺するまでに敏感過ぎるのである。  甘粕大尉は繰り返し尾行しているうちに、大杉栄と伊藤野枝が心中の過冷却状態にあることを嗅ぎ分け、水面に枯葉一枚が落ちかかるほどの衝撃で池が一気に凍結し渡る景色に(和蘭陀に流されるように)誘われるのである。

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